2012年03月02日

ボランティア体験

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本会カナディアンシスターズが、ほぼ同じ時期に一人はシスターズ・リレーで釜石ベースへ、一人はボランティアとして米川ベースに行ってきました。お茶を飲みながら、分かち合っているところをちょっと聞かせていただきました。
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○シスターミシュリン(東仙台本部修道院所属:山形県新庄教会司牧協力)は、2月12日〜19日まで、インフルエンザで参加できなくなったシスターズ・リレーの方の代わりに、急きょ釜石に出動。彼女はこれまで塩釜ベース、釜石ベースでのボランティアの体験有り。塩釜では、瓦礫撤去作業の経験有り。

○シスターリーズ(横浜あざみ野養成修道院所属:カリタス短大非常勤講師)は、2月15日〜20日まで、米川ベースでボランティア体験。被災地でのボランティアは初めて。

シスターミシュリン・シスターズ・リレーin釜石
釜石ベースはとても雰囲気が良く、スタッフがしっかり責任をとっていましたので、動きやすかったです。参加していたボランティアの方たちは、皆さん親切だなぁと感じました。平均すると25名ほどだったと思います。30名分、週末は40名分ほどの食事を作るわけですが、一人だとなかなか大変です。(本当によくされました。)週末は手伝って下さる方がいたので、とても助かりました。お二人に感謝!

 朝は5:00過ぎに起きて、準備します。教会そばのアパートに宿泊できたので、夜はしっかり休むことができました。高校生から来ていましたね。大学生、一般のボランティアもいましたが、わりと若い人が多かったです。ミサには、多くのボランティアが(信徒に限らず)参加していました。
ミニバザーもあり、70名ほどが集っていました。活気がありましたよ。

はじめて、大量の生わかめを茹でる体験をしました。大きな箱で、わかめをいただき、どうしようと思いましたが、ボランティアに来ていたシスターが、「こうしたらいいですよ。」とサッと茹でるやり方を教えてくださったので、挑戦。湯をくぐらせるととてもきれいな緑色になりました。おみそ汁、そのままなど、たくさんわかめを食べ健康になりましたね! 
ピンチヒッターの要請に、快くすぐ「はいいいですよ。」と応えてくれて本当にありがとうございます。

シスターリーズ・米川ベース・ボランティアin南三陸
まず、行く時ですが、天使に連れて行ってもらいました。(えっ!)バスで登米市役所に着きましたら、他の会のカナディアンシスターを知っている女性から話しかけられ、その方のいとこが車で迎えに来るので、ベースまで送っていきますよと言って下さり、送っていただきました。2人の天使に感謝しています。ボランティアに行く前に、苦しんでいる方の心を聴くことができたらという望みがあり、その心で被災地に向かいました。ボランティアに来ている人たちは、皆さん、関わりを望む姿勢がとてもあります。出会いの体験をしたい、関わりたいという姿勢です。ですから雰囲気はとても良かったのです。お互いにできることを手伝っていました。おにぎりの作り方を知らない若者に、別の人が「こうするんだよ。」と教えたり。私は、わかめの分別、投網の整理、仮設住宅集会所でのカフェという活動をさせていただきました。わかめの作業は、とても手が冷たくなりますね。結わえるのにも力が要ります。でもボランティアの帰りに温泉に行きましたから、大丈夫でした。仮設のカフェに午前中来て、食事のために帰り、また午後に来る方々がいます。DVDのなんでしたか「男の人はつらい…」(男はつらいよ!です)それです。そのDVDも上映しました。楽しんでいました。
ボランティアは、20名〜30名ほど来ていましたが若者がとても多かったです。皆さん、とにかく優しい。ボランティアも、ご近所の方も、仮設住宅にいらっしゃるご高齢の方々も。
新しい気づきとして、テゼの祈りをあげます。これまでも参加したことがあるテゼですが、米川での朝のテゼの祈り、そこから心の持ち方というか、何か新しい息吹をいただきました。(年齢については、何か感じましたか?)ボランティアに年齢は、関係ありませんと思います。無理せずにできますから。またぜひ行きたいです。ですから米川行きのバス時刻表、ちゃんと持って帰ります。良い体験をさせていただきました。
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posted by オタワ愛得修道女会 at 14:54| 被災地ボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

修道女たち、気仙沼復興商店街を行くの巻

120201_1.jpg 2月に入り、寒波が日本を覆い寒さが続いているが春に近づいていることは確か。これまで修道会、小教区、幼稚園そして個人からの支援物資を被災された方々につないできたが、別の形の支援をと1月16日、紆余曲折を経て12月24日にオープンした気仙沼復興商店街に5名で車を走らせた。ここは、被災された商店街の人々が、自ら生きる希望を商店街再建に託して懸命に努力してきた復興商店街であり、カリタス・ジャパンが復興支援しているところでもある。52店舗が出店している。



120201_2.jpg コースは仙台サポートセンター米川ベース → 志津川の被災地 → 気仙沼の復興商店街とした。4月初めに気仙沼を訪れた時は、あまりの悲惨な状況に思いも考えも感情も止まってしまった。あれからどれだけ歩み出しているのだろうか。



120201_3.jpg シスターズリレーで7月に滞在した懐かしの米川ベースに立ち寄り、サレジアンシスターにごあいさつして、一路南三陸町志津川へ。瓦礫が分別されてまとめて置かれ、広い空き地が続いている。波に飲まれ、命を落とされた方々とそのご家族のことを思いながら土を踏み祈る……。今は静かな海を車中から眺めながら気仙沼へと移動。被災した商店街を通りプレハブ1階建と2階建ての復興商店街に到着。
 カリタス稲江さんから、渡されたストア紹介を見ながら、やはり気仙沼ですからお寿司でしょうとか、お魚、乾物も買いましょう、本当に良いお天気で神様に感謝とか、来れなかった組におみやげ買わないと修道院には入れないよね、と何かと話題が尽きない修道女達である。

 「あさひ寿司」で昼食。土曜日の昼店内はいっぱいのお客様。ご主人の軽快なお話しを共に、カウンターでいただくお寿司のおいしいこと。「明日はお膚がプルンプルンですよ。」とご主人がふかひれの握りをご馳走して下さった。明日が楽しみ。被災したお店から持ってきた立派な鴨居の彫刻、ご主人が修行した店のご主人からいただいた立派な木製のお品書きなど、刻んだ歴史がここに息づいていることを感じさせる。心もお腹もしあわせになって店を出る。向かいのコロッケ屋さんでコロッケを注文。売り切れる可能性大とのこと。さぁ、そこからお店巡りが続くのだ。青空市で気仙沼の町並みの写真を買い、ひまわり食品で宣伝も兼ねて各修道院と、忘れていけない仙台シスター達にふかひれスープ(これが高くない)、丸入商店で魚や塩辛をゲットと巡った。最後に喫茶フリーダムでマスターこと千葉自治会長さんと商店街復興計画リーダー坂本さん(コロッケ屋さんのご主人)にお話しを伺うことができた。皆さん、ご苦労されながらここまでこぎつけたのだ。表情がなんとも晴れやかである。どのお店に入っても話しがはずみ、人肌のする復興商店街。喜びと活気を持ち続けてほしい。みなさん、どうぞ気仙沼復興商店街に足を運んで下さい。
 
こぼれ話
 第一グループに続けと第二グループが、1月30日に志津川経由で気仙沼を訪問。この日は月曜日で、お寿司やさん、あらっお休み?とんかつ屋さん、あなたも。月曜休みのお店がけっこうあるのだ。いらっしゃるなら、月曜日ではない曜日を。
posted by オタワ愛得修道女会 at 15:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

1月31日(火)石巻ベース訪問の巻

120131_1.jpg 1月29日の日曜日、東仙台教会での日曜日の感謝の祭儀がなく、近隣教会に行く日だったので石巻教会に出かけた。
当日の朝食にこの提案をし、1時間後には4名が乗った車が忠実なナビちゃん(我らの賢いナビゲーター)に誘導されて、三陸道方面に出発していた。すごい。やはりオタワ愛徳は即応性がある!
なぜか、いつものナビちゃんの「700メートル先左折です」が聞こえず、「どうしてかしらねぁ。この間、ナビちゃんの言うことを聞かなかったから、黙っていようと思ったかしら。」とか、「今日は静かモードですね。話していいよ。」などと勝手なことを言っていたら、ただの操作の手違いだった。
本当にメカに弱い。メカに弱くてもシスターにはなれますよ、皆様。

 そうこうしているうちに、10時のミサの30分前には石巻カトリック教会に到着した。
前夜、仙台サポートセンター石巻ベースのオープン・ハウスの日で、スタッフであるシスター細谷と電話で話し、ベースのスタッフが工事の遅れなど、日程通りに進まない中懸命に準備し、オープンにこぎつけたことを聞き「やはり行って、おめでとうを言わなくっちゃ。」と、この日の石巻教会ミサ参加と、ベース訪問となったのである。

120131_2.jpg 石巻教会のミサは、10時から。これまで、石巻教会がベースであった時、修道会に送られた支援物資を送ったりとつながりがあり、2回ほど訪問もしていたが、ミサに参加するのははじめてである。
明るい光が差し込む教会には、極寒の中、壮年の方から子ども達まで集っていた。
フィリピンの方々にもお会いした。私の隣には、フィリピン女性とその子どもが座り、なんとも愛くるしい2歳ほどの男の子が、じーっとこちらを眺めている。
ベール姿の人を見るのは、珍しいことなのだろうか。目が合うと、こちらもにっこり笑顔で返す。

3月11日の大震災後、漁業の町の沿岸部は、津波に飲み込まれ、まだまだその爪跡が残っている。高台にあるこの教会は津波を免れ、その後サポートセンターのベースとして、ボランティアを受入れ、向かい側にある避難所となった門脇中学校などに様々な支援を展開してきた。
教会共同体のメンバーの中に被災された方がおられる。
3月11日以後の一人ひとりの一変した生活を思いながら祈りを捧げる。
ミサは、助任司祭の川崎神父様と、大阪管区から大船渡教会に派遣されている池田神父様の共同司式であった。
ミサの後、シスター佐藤に、「久美子リーダー?」と話しかける女性がいた。
ガ−ルスカウトを一緒にしていた方で、何十年ぶりの再会となった。
この方も津波で家を失くし、現在は別の場所に家を持つことができたという。
信徒の皆さんにご挨拶をし、ベースのオープン・ハウスのお知らせに来た石巻ベース長シスター山本と久々の再会。いざ、石巻ベースオープン・ハウルへ。
長い坂を下るとすぐに石巻べース。
あれっ!まだ「焼肉百万石」の看板が取れていない!
まあいい。とにかくオープンしたのだ。
シスター細谷が、駐車場で迎えてくれた。彼女は、9月から石巻ベースのスタッフとして、活動している。

120131_3.jpg お邪魔しますと入っていくと、明るいカフェに、3人のスタッフ、シスター山本(援助会)シスター松阪(聖母訪問会)シスター細谷のスタッフの笑顔があった。
広い空間に名がテーブルといすが何ヶ所か置かれ、小型のアレンジフラワーが彩りを添えている。2階は工事が遅れていて、中を見る状態ではないとのこと、この一階のスペースでしばし過ごす。
おいしいコーヒーと手作りのケーキをいただきながら、皆さん、どうぞいらして下さいと外を眺めながら目力が入る。
しばらくすると、お二人ほど見えられた。被災された方が、ゆっくりと座り、持参したおにぎりとお漬物を食べながら、いろいろ語り始められた。
ゆっくりと聞く雰囲気があるのは、何より嬉しいことなのではないだろうか。
そこへ、スタッフ江藤さんと奥村さんと会津若松からいらした男性が買い物からか帰られた。
皆さん、本当にお疲れ様です。

被災地での活動は、10ヶ月になる石巻ベース。
多くのスタッフとボランティアに支えられながら、どれほど多くの出会いを体験してきたのだろう。
悲しみ、苦しみ、不安を抱えて冬を越そうとしている人々にとって、このベースが、温かなぬくもりをもたらしていることを感謝しつつ、4人はまた、車に乗り、「ナビちゃん、よろしくね。」と声をかけて東仙台修道院への帰路についた。

シスター木田
posted by オタワ愛得修道女会 at 17:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする