4月、5月は米川ベースに3回短期ボランティアに行き、漁業支援、瓦礫の片付け、お茶っこ等に参加させていただいた。瓦礫の片付けは住んでいた方と出会うことはなかったが、拾ったものを通して、1年前まで、ここで生活していた人たちがいたのだと実感させられた。漁業支援やお茶っこでは、被災者と直接出会い、お互いに知り合う機会となった。
南三陸志津川漁港でのメカブ削ぎ手伝いの時に、漁師の妻のWさんと知り合った。その時は、「義理のお母さんが震災後仮設住宅に入って随分弱ってきた。どうしてあげたらいいだろう、他の人もそういう人がいっぱいいるはずだから、何かしたい。ヘルパー2級を今回取ったから、それを活かせたらと思っている。」と心配そうに話しておられた。8月に南三陸福興市があり、Wさんの店にも行って来た。Wさんは「あの時、会っただけなのに、心にかけてくれてる人がいるて、力強い。南三陸の漁師が頑張ってる姿を知って、応援して欲しい。」と言っておられます。
歌津の枡沢仮設お茶会に行った時、そこのYさんは牛乳パックで椅子を作り、人に喜ばれていた。牛乳パックを集め、届けると、作った椅子を牛乳パックを集めてくれた子どもたちにプレゼントしてくださった。それに応えて、塩釜幼稚園と愛児園の子どもたちが写真つきのお礼状を彼女に書き、大変喜ばれた。
ひびきのお茶会で、歌を歌いたいという雰囲気があり、きっかけを作ったら、何曲か積極的に歌いだし、ある方は津波で流された次男の嫁が童謡が好きだったから歌ってとリクエストし、ちょうど野蒜童謡合唱サークルで活動していた方もおられたので、皆で歌った。また、別な方はもみじを輪唱しようと提案し、彼女が音頭をとって、輪唱して、「いいねー」と喜び合った。歌の合間に、震災前にしていたサークル活動が楽しかったこと、またしたいこと、歌にまつわる思い出話などを話しておられた。「また歌いたいねー」とのことだった。
石巻のSさんは同じ被災者立場で被災者を支援しておられる。同じ仮設で落ち込んでいたAさんの手作り篭をいろいろなところで紹介し、彼女を支えていた。篭が愛児園で使われている写真とお礼状が届き、力づけられたと言われた。
1月から、仮設3箇所での10時から16時までのお茶会行く事になった。開いて、積極的に待つ、聴く、受けとめる、繋ぐ姿勢を意識して参加したい。
posted by オタワ愛得修道女会 at 17:30|
被災地ボランティア
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