2012年01月31日

1月31日(火)石巻ベース訪問の巻

120131_1.jpg 1月29日の日曜日、東仙台教会での日曜日の感謝の祭儀がなく、近隣教会に行く日だったので石巻教会に出かけた。
当日の朝食にこの提案をし、1時間後には4名が乗った車が忠実なナビちゃん(我らの賢いナビゲーター)に誘導されて、三陸道方面に出発していた。すごい。やはりオタワ愛徳は即応性がある!
なぜか、いつものナビちゃんの「700メートル先左折です」が聞こえず、「どうしてかしらねぁ。この間、ナビちゃんの言うことを聞かなかったから、黙っていようと思ったかしら。」とか、「今日は静かモードですね。話していいよ。」などと勝手なことを言っていたら、ただの操作の手違いだった。
本当にメカに弱い。メカに弱くてもシスターにはなれますよ、皆様。

 そうこうしているうちに、10時のミサの30分前には石巻カトリック教会に到着した。
前夜、仙台サポートセンター石巻ベースのオープン・ハウスの日で、スタッフであるシスター細谷と電話で話し、ベースのスタッフが工事の遅れなど、日程通りに進まない中懸命に準備し、オープンにこぎつけたことを聞き「やはり行って、おめでとうを言わなくっちゃ。」と、この日の石巻教会ミサ参加と、ベース訪問となったのである。

120131_2.jpg 石巻教会のミサは、10時から。これまで、石巻教会がベースであった時、修道会に送られた支援物資を送ったりとつながりがあり、2回ほど訪問もしていたが、ミサに参加するのははじめてである。
明るい光が差し込む教会には、極寒の中、壮年の方から子ども達まで集っていた。
フィリピンの方々にもお会いした。私の隣には、フィリピン女性とその子どもが座り、なんとも愛くるしい2歳ほどの男の子が、じーっとこちらを眺めている。
ベール姿の人を見るのは、珍しいことなのだろうか。目が合うと、こちらもにっこり笑顔で返す。

3月11日の大震災後、漁業の町の沿岸部は、津波に飲み込まれ、まだまだその爪跡が残っている。高台にあるこの教会は津波を免れ、その後サポートセンターのベースとして、ボランティアを受入れ、向かい側にある避難所となった門脇中学校などに様々な支援を展開してきた。
教会共同体のメンバーの中に被災された方がおられる。
3月11日以後の一人ひとりの一変した生活を思いながら祈りを捧げる。
ミサは、助任司祭の川崎神父様と、大阪管区から大船渡教会に派遣されている池田神父様の共同司式であった。
ミサの後、シスター佐藤に、「久美子リーダー?」と話しかける女性がいた。
ガ−ルスカウトを一緒にしていた方で、何十年ぶりの再会となった。
この方も津波で家を失くし、現在は別の場所に家を持つことができたという。
信徒の皆さんにご挨拶をし、ベースのオープン・ハウスのお知らせに来た石巻ベース長シスター山本と久々の再会。いざ、石巻ベースオープン・ハウルへ。
長い坂を下るとすぐに石巻べース。
あれっ!まだ「焼肉百万石」の看板が取れていない!
まあいい。とにかくオープンしたのだ。
シスター細谷が、駐車場で迎えてくれた。彼女は、9月から石巻ベースのスタッフとして、活動している。

120131_3.jpg お邪魔しますと入っていくと、明るいカフェに、3人のスタッフ、シスター山本(援助会)シスター松阪(聖母訪問会)シスター細谷のスタッフの笑顔があった。
広い空間に名がテーブルといすが何ヶ所か置かれ、小型のアレンジフラワーが彩りを添えている。2階は工事が遅れていて、中を見る状態ではないとのこと、この一階のスペースでしばし過ごす。
おいしいコーヒーと手作りのケーキをいただきながら、皆さん、どうぞいらして下さいと外を眺めながら目力が入る。
しばらくすると、お二人ほど見えられた。被災された方が、ゆっくりと座り、持参したおにぎりとお漬物を食べながら、いろいろ語り始められた。
ゆっくりと聞く雰囲気があるのは、何より嬉しいことなのではないだろうか。
そこへ、スタッフ江藤さんと奥村さんと会津若松からいらした男性が買い物からか帰られた。
皆さん、本当にお疲れ様です。

被災地での活動は、10ヶ月になる石巻ベース。
多くのスタッフとボランティアに支えられながら、どれほど多くの出会いを体験してきたのだろう。
悲しみ、苦しみ、不安を抱えて冬を越そうとしている人々にとって、このベースが、温かなぬくもりをもたらしていることを感謝しつつ、4人はまた、車に乗り、「ナビちゃん、よろしくね。」と声をかけて東仙台修道院への帰路についた。

シスター木田
posted by オタワ愛得修道女会 at 17:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がない ブログに表示されております。